"木造モダニズムの国ー日本"を代表する建築
重要文化財「聴竹居」
木造モダニズム建築の傑作「聴竹居」1928年
京都府乙訓郡大山崎町に在る第5回目の自邸「聴竹居」は、建築家・藤井厚二が山林約4万㎡を購入し、道路、上下水道、電気等のインフラを整備し、第3回住宅、第4回住宅他様々な施設を造った谷田地区住宅地に唯一現存している建物です。「聴竹居」は、家族と暮らしたメインの建物である「本屋」、藤井の和敬清寂を愉しむ私的な空間である「閑室」、お客様を迎い入れた「茶室(下閑室)」の3つの建物から構成されています。
日本には、もともと四季ある気候風土に寄り添うように呼応し自然の材料で建ててきた木造建築の長い歴史があります。しかし、江戸から明治に移り開国した日本で近代化が始まると、それは西欧化と同時に進められ、昭和初期まで日本の気候風土や日本人の感性やライフスタイルとは無関係に直輸入の洋館や和洋折衷の住宅が次々と建てられていきました。
藤井は、そうした時代にあって、日本の住まいで伝統的に取り入れられてきた気候風土に合わせる建築的方法を科学的な観点から見直し、日本の気候風土と日本人の感性に適合し、欧米の椅子式のライフスタイルや家事労働を軽減する家電を備えた「日本の住宅」を追求、「環境共生住宅の原点」とも言われる最先端のモデル住宅を「聴竹居」で実現しました。
建築家の建てた「昭和の住宅」として初の国の重要文化財に指定(2017年)
「聴竹居」は、2017年7月に松野文部科学大臣(当時)により、土地・建物(3棟)共に「重要文化財 聴竹居 旧藤井厚二自邸」として指定されました。注目すべきは、建築家が自邸として建てた「昭和の住宅」として初めての国の重要文化財となったことです。
重文指定にあたって特筆すべき点として、「京都帝国大学教授であった藤井厚二が、日本の気候風土や起居様式に適合した理想的な住宅を追求して完成させた自邸である。機能主義の理念と数寄屋技法の融合、室内環境改善のための設備整備などの創意が実践されている。工学的理念に基づいたモダニズム住宅の先駆的存在として住宅史上、建築学上重要である」と記載されています。
「日本の住宅」の理想形を追い求めた建築家・藤井厚二(1888-1938)
大正から昭和初期にかけて活躍した建築家・藤井厚二は、真に日本の気候風土や日本人の感性に適合した「日本人の理想の住まい」を追求した研究者、建築家として近年特に注目を集めています。 1888年、藤井厚二は現在の広島県福山市に素封家の次男として生まれています。1887年生まれの世界的な建築家のル・コルビジェとはひとつ違いです。1913年、東京帝国大学工学科建築学科を卒業した藤井は、当時神戸にあった建設会社の竹中工務店に初の東京帝国大学卒として入社します。1899年に創立し近代建設業への飛躍の途にあった竹中では、大阪朝日新聞社など主にオフィスビルの設計を手掛け設計組織の基礎をつくりますが、わずか6年足らずの在籍ののち退社します。その後、1919年から1920年にかけての約9か月間、私費でアメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、イタリア、スイスを巡り、当時の日本でオフィスビルなどと比較して近代化が遅れていた「住宅」とその「設備」を中心に視察して帰国します。
帰国後の1920年に創設された京都帝国大学建築学科に招かれて教鞭をとった藤井は環境工学にいち早く取り組みました。1923年の関東大震災の惨状を3週間後に視察、より一層「日本」という気候風土を強く意識した藤井は、代表的な著書『日本の住宅』を1928年に発行しています。それは、緒言に続き、和風住宅と洋風住宅、気候、設備、夏の設備、趣味の5つの章で構成された環境工学の最初期の理論書として有名です。明治維新以降の欧化・近代化政策で盲目的に欧米の模倣を推し進めた結果、和洋折衷と日本の伝統がただ雑然と混交している生活様式、さらに、欧米化する住宅を文化住宅と信じて忠実に模倣するような時代でした。そうした時代に「彼我の歴史人情風俗習慣及び気候風土を対比せば、総て非常に相違のあることが知られます」との疑問を持った藤井は、その責任は建築家にあるとしたうえで、「我々は我国固有の環境に調和し、其の生活に適応すべき真の日本文化住宅を創成せねばなりません」と本書執筆の意義を緒言に記しています。
藤井は環境工学による住宅研究と実践の完成形を「聴竹居」で実現し、その成果を図面と写真と解説からなる「聴竹居図案集」を1929年に、さらに1930年には、理論書「日本の住宅」とこの「図案集」を合体させた英語版の「THE JAPANESE DWELLING-HOUSE」を著し、「日本の住宅」の素晴らしさを世界に発信しています。その後も約50の住宅を設計しましたが、1937に完成した京都の中田邸「扇葉荘」が遺作となります。1938年没。享年49。京都嵯峨野・二尊院にある自ら病床でデザインした墓所に眠っています。「聴竹居」に住んでわずか10年の短い生涯でした。
施設見取り図
建物概要
所在地 | 京都府乙訓郡大山崎町大山崎谷田31 |
構造規模 | 木造平屋建 |
延床面積 | 本屋 / 173㎡ 閑室/ 44㎡ 下閑室/ 33㎡ |
竣工 | 1928年(本屋・閑室)1930年頃(下閑室) |